【インタビュー】独自の道こそ、強みになる!《前編 大学生活に急展開!?アフリカに日本語学校を作りたい》

“自分らしい生き方・働き方のヒントをみつける” がコンセプトの道しるべインタビュー企画。
今回ご登場いただく方は、まさにオンリーワンな道を歩んでいる方です。

海外支援活動のために日雇い、派遣社員としての20代を過ごし、40歳の今、海外支援活動も継続しつつ、勤め人としては一般企業の人事として活躍する山道昌幸さん。

昼間・勤め人、夜間・海外支援の活動家という2本立ての社会人生活について、お話を聞きました。

前編では西アフリカベナン共和国の支援活動の話を、後編では支援活動をしつつも会社員としての顔を持つ山道さんのキャリアに関する話をお届けします。

山道昌幸さん
2002年国士舘大学卒業。2004年NPO法人IFE(イフェ)立ち上げ、代表理事に。NPOの売り上げはすべて活動費に充て、生活費は企業勤めで稼ぐスタイルを18年間継続中。現在は株式会社グラフィコにて管理部/総務人事グループ長を務める。

夢は教師だった学生が、アフリカに日本語学校を作ることに

オデン:まずは、ベナン共和国の支援活動に取り組むことになったきっかけを教えてください。

山道さん:大学3年生のときにたまたまバスで隣合わせた方がベナン共和国出身のゾマホンさんだったんです。そのバスの中でベナンの話や海外支援の話を聞いたのがきっかけです。

オデン:ゾマホンさんってあの『ここがヘンだよ日本人』の…ですよね?

ゾマホン・D.C.ルフィンさん
西アフリカ・ベナン共和国出身。IFE(イフェ)国際財団代表。上智大学大学院博士課程在学中の1998年にTBS系列『ここがヘンだよ日本人』に出演し、人気者に。2012~2016年、駐日ベナン共和国特命全権大使を務める。母国ベナン共和国の未来のために、現在も教育(人づくり)の活動に取り組む。

山道さん:そうです。当時彼は上智大学の大学院生でした。テレビに出始めた頃だったようですが、僕は知りませんでした。隣の席が空いていたので座ったらこんにちはって。

オデン:私だったら緊張しちゃいます…。初対面でどんな話をされたのですか?

山道さん:将来何になりたいかって聞かれ、学校の先生ですって答えたところから話が広がって。僕は専攻が世界史だったんです。

オデン:世界史専攻の学生とアフリカからの留学生、共通点があったわけですね。

山道さん:それで自然とベナンの話や海外支援の話になりました。当時は海外支援といえば、物資を送るのが大々的に行われていましたが、文房具を送れば現地の文房具屋はつぶれるんです。物資の支援は双方が疲弊するばかりか発展もしていかない。人って善意だと思ってやっていることになると、盲目になるんですね。逆のことはなかなか想像がつきにくい。そういう支援に対して、それは違うよねって考えが僕もゾマホンさんも一緒でした。

オデン:たしかにそうですね。でも、現地に文房具屋があるって想像しづらい…

山道さん:それからゾマホンさんは、現地に日本語学校を作りたいとも話していて。ベナンの中でも日本に興味をもっている人はいて、日本に技術や考え方を学びに来たい人はいるので、人の行き交う道を作りたいのだと。その人たちが日本で学んで自国に持ち帰る。それがベナンにおいて一番重要なことだと言っていました。

オデン:かなり話し込んだ様子ですね。

山道さん:最後に名刺をもらって別れたのですが、大学に戻って、ゾマホンさんの話をひとつひとつ振り返ったとき、ゾマホンさんの考えを絶対に実現させたいと思ったのです。

オデン:琴線に触れた出来事だったんですね。山道さんは、もともとボランティアや支援活動に興味があったのですか?

山道さん:ボランティアに関して言えば、ボランティア活動・・には、抵抗がありました。中学のとき、近くに老人ホームができたので校長先生がボランティア部を作って訪問しようって言われて。部にするって何だよって!

オデン:確かに(笑)

山道さん:やりたきゃ一人でも行くべきだと思うんです。ボランティアなどの奉仕活動は、“一人でもやる”ってことが一番尊いことだと思っています。今でも自分の軸になっている価値観ですね。

オデン:そうすると「ボランティア部でバリバリ活動していました!」的なタイプの学生ではなかったわけですね。

山道さん:今振り返るとなんですが、ボランティアの話のほかに、僕は中学からずっと剣道をやっていて、大学も剣道の師匠がいるって理由で選んだくらいなんですね。しかも、大学(志望校)は中学の時に決めていました。

オデン:相当剣道に入れ込まれていたんですね!

山道さん:はい。大学時代はその先生(師匠)のお考えで、剣道修行の一環として相撲や茶道も学ばせていただきました。日本の伝統的なものにずっと触れてきたので、活かせればなという想いを持っていました。

オデン:なるほど~

山道さん:それから、大学4年生のときに、アメリカ同時多発テロがあったんですね。僕ちょうどそのとき、剣道の遠征でハワイに行っていて、9.11当日は帰国日で、ハワイの空港にいたんです。あれほどの事件だったので、2週間くらい現地で足止めさせられました。日本に帰国した後、テレビから流れてくる情報って“アルカイダ=テロ集団=敵”とすごく一方的に感じました。なぜ彼らはテロを起こすまでになったのかという原因が伝わってこないので、メディアに対して違和感を持っていました。

オデン:……。

山道さん:僕ちょっと変わった学生だったかもしれません(笑)。

オデン:いえ(笑)そういった感性の持ち主だったから、ゾマホンさんの話が心に響いたんだと思います!ゾマホンさんとの出会いによって、進む道がきまったんですか?

山道さん:それが…もともと僕は、卒業後は地元に帰って学校の先生か警察官になろうと思っていたんですね。

オデン:今の状況と全然違いますね。

山道さん:無理をいって学費を出してくれた両親や、剣道でお世話になった方々のためにも地元にもどりたいという思いと、アフリカで日本語学校を作りたいという2つの思いで葛藤しました。

オデン:重い選択…

山道さん:すごく悩みました。いま思い返せば、最終的にどちらかの道を決断したというより、自然とアフリカで日本語学校を作ろうという思いが強くなってこっちの道に…。まさにゾマホンさんとの出会いは自分の運命を変えた出来事でした。

オデン:自分の心に従って選択をされたんですね。それで大学卒業後はどうされたのですか?

山道さん:日本語学校に就職するのが一番手っ取り早いなと考え、在学中に日本語学校の養成講座に通いました。卒業後は、そのままその学校に勤務することにしました。1年半働いたタイミングで退職して、ゾマホンさんとNPO法人を立ち上げました。

オデン:すごい行動力!

山道さん:アフリカと日本を結ぶ、人材の交流を活性化させることを目的としたNPOです。団体の名称はIFE(イフェ)です。イフェはベナンにいる民族の言葉で「愛」「分かち合う」を意味しています。

オデン:すてきな名前ですね。

 

借金した数百万円で学校建設。いよいよベナンに出発!?

オデン:NPOを立ち上げられ、まずは何をされたのですか?

山道さん:最初は、JICAや外務省へ話に行って、ベナンにとって本当に必要なのは物資を送ることではなく、人が行き交う道を作ることだと。そのために私たちは現地に日本語学校を作りたいと説明しました。

オデン:相手はどんな反応を?

山道さん:「日本語学校、それはね~」ってしぶられました。外務省もJICAも僕らがやろうとしていることに賛同は得られなかったですね。僕らの力不足でした。ただ、いつかは人の交流をもっと盛んにという時代は来るだろうとは思っているようでした。僕らは実際に留学生を呼んで実例をつくり、証明することが必要だと考えました。

オデン:主要機関の協力を得られず、どうされたのですか?

山道さん:結局、ゾマホンさんと私の2人で知人から数百万円借りて自分たちで日本語学校を作り、留学生を育てることに決めました

オデン:貸してくれる人がいるってのもすごいですが、借金を背負うって…

山道さん:出資してくれる人を募るという手もありますが、複数のスポンサーがつくというのはそれぞれの意見を尊重しなくてはいけなくなり、結果的に自分たちがやりたいと思うことができなくなる怖さがありました。当時僕も24歳で、いまよりも調整する力はありませんし。

オデン:あくまでも自分たちのやりたいようにが第一ということですね。そのために日雇いもされていたとか…!

山道さん:アフリカは何でも安いと思われがちですが、輸入物が主流のため物価が高いんです。校舎を作るのも借金だけでは足りず、黒板は近所からもらってきた鉄板だったり。それでもなんとか2003年9月1日に完成しました。

オデン:日付まで覚えている大切な日ですね。

山道さん:無事完成し、僕は教師として現地に行くぞって思ったら、ゾマホンさんに山道さんは日本にいてって言われて。留学生が来たあとの受け入れ先の開拓がまだだからと。

オデン:教師になりたいという始まりでしたよね(笑)。受け入れ先の開拓はどんな仕事ですか?

山道さん:やることはいっぱいあって、大学に出向いてベナンからの留学生を受け入れのお願いをしたり、大使館を設置するために官公庁、国会議員にあいさつに行ったり、借金返済のためにゾマホンさんの講演会をひらいたり。合間に日雇いの仕事もして…

オデン:どれも大変そう…

山道さん:一番大変だったのが、ベナンからの留学生の渡航にかかる費用。当時ベナンから日本に来るには正規の航空券が約100万円でした。それだと留学生は来れるはずもないので、都内の航空会社を片っ端からあたって…

オデン:終わりの見えないやつですね…

山道さん:当時ベナンのチケットは日本でなかなか購入できず、航空会社からさらに別の航空会社に問い合わせてもらって、値段交渉もして…。本当に大変でした。最終的には、様々な航空会社の人をつなぎ、トータル約27万円で来れるルートを確保しました。

オデン:だいぶお安く!すばらしいです。そうやって着実に人の行き交う道を作られたわけですね。

後編はこちらから!

 

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書いた人:しごとの道しるべ 編集部員 オデン

新卒で入った会社は、先生と呼ばれる親より年上の所長とふたりきりの職場でした。入社後すぐの挨拶まわり、スーツを着た人がみな同じに見えて、同じ方に2度自己紹介をするという失態が忘れられません。現在は、育児と仕事の両立に格闘中。

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