【インタビュー】夢中になる仕事は意外にも身近にあった!愛される若き2代目社長《前編》

“自分らしい生き方・働き方のヒントをみつける” がコンセプトの道しるべインタビュー企画。
今回ご登場いただく方は、天然繊維(綿・麻・シルク・ウール)を使って、日本国内での製造にこだわって衣類を作っている会社Humming Birdの若き2代目社長の金沢さんにインタビューさせて頂きました。

Humming Birdは“使う人を想うものづくり”をコンセプトに、主に靴下や洋服、靴の企画開発と製造、卸売と直営店での販売を行っている会社です。
全国に小売店があるほか品川、吉祥寺、大井町などに直営店舗があります。

実は金澤さんは初めから、衣類に興味があったわけでも、2代目社長になろうと志していたわけでもなく、大学卒業後はシステムエンジニアとして就職された経験をお持ちです。それがどのような経緯で家業を継ぐに至ったのか、じっくりインタビューさせていただきました。

アルバイト一筋の学生生活。そこからシステムエンジニアとして就職するまで

古庄:金澤さんは、どんな学生時代をお過ごしになったんですか?

金澤さん:勉強は好きでなかったので、全くやりませんでしたね。大学に進学するかどうかも悩みました。ただ、高校生のときから車が好きで、週3〜4日はガソリンスタンドでアルバイトをしていました。

古庄:そうなんですね。アルバイトを始めるきっかけがあったんですか?

金澤さん:僕は昔からナルシスト気質なところがあるみたいです(笑)。アルバイトを始めるまでは、”稼ぐことなんて楽勝だろう”と高を括っていましたが、いざ働き始めると、お金を稼ぐことの厳しさを実感しました。でも、すごく楽しかったんです。アルバイトを通じて、自分が信頼されていることや必要とされていることが明確にわかり、人の役に立てているという実感が持てたことでやりがいを感じていました。

古庄:大学でも、アルバイトは続けていたんですか?

金澤さん:はい。合計すると7年くらい続けました。

古庄:学生時代に長くガソリンスタンドで働いていたにも関わらず、なぜ卒業後の就職先として、システムエンジニアを目指されたんですか?

金澤さん高校生の時も大学生の時も、やりたい仕事はありませんでした。ただ漠然と“とにかくたくさんお金を稼ぎたい”という気持ちがありました。でも、起業をするには資本金が必要だから、少し違うかなと。そんな時にたまたま、親戚のシステムエンジニアから“システムエンジニアはかなり稼げるよ”と聞いたので、大学2年生の頃からその親戚にプログラミングを週に1〜2回ほど習っていました。大学の専攻は経営学部でしたし、勉強も好きではなかったのですが、そこまで苦には感じませんでした。

古庄:給与が高いことがモチベーションとなって、システムについて自発的に学ばれたんですね。それで、就職活動は迷うことなくシステムエンジニア職を目指された?

金澤さん:そうですね。そこまで苦労することなく採用されました。ただ人事の方には、営業の方が向いている、と見抜かれていたようで…入社後すぐに、社内の新事業のシステムエンジニア兼営業として働いてほしいと言われました。

古庄:おぉ。就職活動は大学2年生からの努力の甲斐があり、すんなりとクリアされたんですね。では、なぜ辞めるに至ったんでしょうか?

金澤さん:入社後に予定通りに新しいシステムの開発をする部門に配属されました。しかしながら入社1年目だったこともあり、開発にも携わるエンジニアとしての技量もなく、自由に営業をする権限もなく、何も納得する仕事ができずに1日が終わる毎日でした。「誰かの役に立つ仕事をしている】」という実感が持てずに、1ヶ月半で辞めました。

古庄:1ヶ月半!?もう少し長く様子を見てみようか、という気持ちや再就職できるか、といった不安はなかったんですか?

金澤さん:迷いは全くなかったですね!アルバイトを長くしていた経験から、”人に必要とされている”と感じることが自分の仕事に対する軸だと、直感的にわかっていたのかもしれません。

金澤さんのまっすぐな強い表情から、唯一無二のポジティブさと確固たる自信を持つ方だと感じました。

今まで興味がなかった家業に携わることに。初めて父親が何をしているのか知る…

古庄:システムエンジニアを辞める時に、退職後のプランについては考えていたんですか?

金澤さん:車が好きでしたし、兄が車の営業をしていたこともあり、自分も車の営業に転職しようと漠然と考えていました。ただ、その間の繋ぎとして、ちょっと家業を手伝おうという軽い気持ちで、親父に「何か仕事ある?」と聞いたことが始まりでした。

古庄:そんな始まり方だったとは!?お父さんの反応はどうでしたか?喜ばれました?

金澤さん:いやいや!真逆ですね。親父は初めから、全く僕が仕事で役に立つとは思っていなかったと思います。実は僕、学生の頃はかなりやんちゃだったんです。あとは、次男ということもあり期待も信用もない状態から始まりました(笑)。
でも「タダ働きでいいから働かせて!」と頼み込んだことで渋々、働くチャンスをくれた感じでした。

古庄:初めての仕事はどんな風に始まったんですか?

金澤さん:親父から「いつも使っている営業カバンを貸してやる。どこかに飛び込み営業行ってこい」と言われました。営業カバンには、商品の靴下と自社のパンフレットが入っていました。

古庄:おぉ!仕事道具を貸してもらえたんですね。それで、成果はどうだったんですか?

金澤さん:初めて営業に行ったのは浅草の雑貨屋でした。1件目は契約が取れず、その後も1ヶ月くらい契約がゼロでした。

古庄:そうでしたか。辛かったですよね。営業の厳しさを知ったと?

金澤さん:んー…。そうでもなかったですね(笑)。
というのも、実はそれまで、親父がどんな物を売っているのかよく知らなかったんです。だから、商品に対して何だかよくわからないまま、とりあえず営業に行っていた期間だったので契約が取れないのも当然かな?と(笑)。

古庄:ん?それでは、初めの一ヶ月間は何の商品知識もなく営業に行ったということですか?!

金澤さん:はい(笑)。よくわかっていないまま飛び込みで「あのぅ、この靴下置いてもらえませんか…?そんなに僕もよくわからないものなんですけど…」と言って営業に行きました。

古庄:本当ですか?!むしろそれは怖いもの知らずというか、コミュニケーション力だけで勝負というか…。凄いですね。

金澤さん:はい(笑)。「何しに来たの?」と怒られることもよくありました。


システムエンジニアから、成り行きで家業の営業をすることになった金澤さん。
営業がうまくいかないも、知識も経験もないから仕方ない!と割り切っていたようです。この時点ではモチベーションはかなり低かった金澤さんですが…。次回は、来週1月26日(水)に、なぜ2代目社長になるに至ったのかを掲載いたします。

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